​居合道の起源

 始祖:林崎甚助重信

 居合の起源は古く、奈良朝あるいは平安時代からといわれています。居合の始祖とされる林崎甚助重信は、奥州の生まれとも相模国の人ともいわれていますが定かではなく、没年没地も不詳です。
 甚助数え年十五歳の頃、闇討ちにあった父の仇討ちを祈願して出羽山形楯岡の熊野明神に参籠し、満願の日に「神妙秘術の純粋抜刀」の神託を得、居合の妙技を授かり、後年仇討ちの本懐を遂げたと言われています。
 その後、熊野明神の一角に「居合神社」として祀られ、明治の神仏判然令に伴い「熊野・居合両神社」として合祀し、山形県村山市に今も現存しています。
 林崎甚助重信が編み出した刀術は「林崎流」「神夢想流」「重信流」などと称されて伝えられ、その門人には長谷川英信(無双直伝英信流開祖)、田宮平兵衛業正(田宮流開祖)、片山伯耆守久安(伯耆流開祖)、関口柔心(関口流開祖)などがおり、今日の居合の基礎を築いています。

無双直伝英信流居合由来 
 享保の頃(約270年前)第七代長谷川主税助英信は始祖以来の達人といわれ、自ら古来の技に独自に編み出した技法を加え流名を無双直伝英信流と改めました。江戸在留中にこの技を磨き上げ、晩年、土佐藩(高知県)に帰郷し流儀を広め、多くの逸材を輩出しました。以降、土佐藩はこれを藩外不出の流儀として庇護し、伝承されてきました。

居合道と関わりのある歴史上の偉人 
福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)

 福沢諭吉の修行した「立身新流(たつみしんりゅう)」は、江戸時代に佐倉の掘田藩で藩外不出の武術として重視された「立身流(たつみりゅう)」の系統であり、この居合を晩年まで稽古していたのは自伝にも記載があり有名です。

・井伊直弼(いい なおすけ)

 井伊直弼といえば「桜田門外の変」としてのイメージが強いですが、居合の達人でもありました。直弼は31歳のとき「新心新流(しんしんしんりゅう)」という、居合の新しい流派を立ち上げたほどの腕前でした。